みどころ
HIGHLIGHT
令和4 年(2022)、聖徳太子(574 ~622)が没して1400 年を迎えます。聖徳太子ゆかりの寺院では、聖霊会しょうりょうえをはじめ太子の偉業を偲ぶ大規模な法会が催されます。このような100 年に一度の節目にあわせ、太子の生涯をたどり、没後の太子信仰の広がりをご紹介する展覧会を企画しました。用明天皇の皇子として生まれた聖徳太子は、推古天皇の摂政として十七条憲法の制定や遣隋使の派遣など国家体制の確立に大きく貢献したことで知られます。さらに、大阪・四天王寺や奈良・法隆寺の創建に代表されるように仏教を篤く信奉し、現在まで続く日本仏教の礎を築きました。

現在でも、その名を知らない人がいない聖徳太子ですが、最澄や親鸞をはじめとする日本仏教諸宗の名だたる開祖・祖師は、なぜ太子を篤く尊んだのでしょうか。太子ゆかりの寺院は、なぜ1400 年もの長きにわたり参詣が絶えないのでしょうか。本展覧会では、こうした聖徳太子にまつわる問いを解くべく、太子信仰の中核を担ってきた大阪・四天王寺の所蔵品を中心に、太子にかかわる美術の全貌をご紹介します。
1「聖徳太子童形立像」鎌倉時代 13~14世紀、奈良・長福寺/2 重要文化財「聖徳太子絵伝」第2幅、遠江法橋筆、鎌倉時代 元亨3年(1323)、大阪・四天王寺、画像提供 : 奈良国立博物館/3 国宝「四天王寺縁起(根本本)」平安時代 11世紀、大阪・四天王寺/4 重要文化財「救世観音半跏像」鎌倉時代 寛元4年(1246)、京都・三千院/5「馬上太子像」桃山時代 16~17世紀、大阪・叡福寺/6「聖徳太子坐像」佐藤朝山作、大正8年(1919)、東京国立博物館、Image : TNM Image Archives/いずれも部分図
聖徳太子を拝む─太子信仰の広がり
聖徳太子は日本に仏教を広めた人物として、没後まもなく信仰の対象となりました。日本天台宗開祖・最澄(767~822)、浄土真宗開祖・親鸞(1173~1262)、時宗開祖・一遍(1239~89)などの名だたる僧侶をはじめ、貴族から民衆に至るまで、身分・男女を問わず多くの人々から尊ばれてきました。こうした太子信仰のなかで、太子にまつわる絵画・彫刻・工芸作品が生み出されました。
また「複数人の話を同時に聞き分けた」、「未来を予言した」、「黒駒で空を飛び富士山に登った」といった、現代にも知られる太子の超人的なエピソードも膨らんでいきました。
聖徳太子ってどんな人?知っているようで知らない太子の姿に迫る
聖徳太子がどのような人物であり、日本の仏教にどのような影響を与えたのかをわかりやすく紹介します。
太子の幼い二歳像や凜々しい少年の十六歳像などもあり、絵画・彫刻を問わず愛らしい子どもの姿の作品が多いのも本展覧会の特徴です。また色鮮やかな江戸時代の絵画、昭和の紙幣、マンガの原画などを通じ、現代まで続く太子イメージの広がりにも目を向けます。仏教美術展になじみのない方やお子様にもおすすめです。
日本各地から集まる国宝10件、重要文化財47件を含む約200件を展示
聖徳太子が所持したと伝わる、大阪・四天王寺所蔵の国宝「丙子椒林剣へいししょうりんけん」、国宝「七星剣」など、ゆかりの品や、様々な年齢の太子を表した絵画・彫刻をはじめ、古代から現代までの1400年間に生み出された太子にかかわる作品を紹介します。
太子信仰は、太子が活躍した近畿に留まらず、日本全国へ広く展開しています。本展覧会では、北は宮城県、西は山口県などから作品が一堂に会します。寺外初公開も数多く、通常は非公開の作品もゆっくり鑑賞できる貴重な機会です。
展覧会初出品も含む貴重な作品が多数出品
展覧会初出品となる台東区指定文化財「聖徳太子童形立像(孝養像)」(鎌倉時代 13~14世紀、東京・坂東報恩寺)をはじめ、県外での公開は初となる兵庫県指定文化財「聖徳太子童形立像(植髪太子)」(鎌倉時代 13~14世紀、兵庫・鶴林寺)など、貴重な作品が多数出品されます。
絵伝で読み解く聖徳太子の事績
重要文化財「聖徳太子絵伝」遠江法橋筆、第2幅(6幅のうち)、鎌倉時代元亨3年(1323)、大阪・四天王寺、画像提供 : 奈良国立博物館
1
10歳
侵攻してきた蝦夷を鎮める
敏達天皇10年(581)、数千の蝦夷が辺境に攻め入った危機に際し、太子は武力を用いず、温情をもって鎮めました。
2
11歳
童子たちと遊び卓越した能力を見せる
敏達天皇11年(582)、太子は諸童子と遊び、言葉の復唱、跳躍、競争、相撲、弓技のいずれにも抜きんでた才能を見せました。
3
12歳
百済より日羅が帰国
敏達天皇12年(583)、百済から高僧・日羅が帰国します。太子を救世観音の化身と見抜いた日羅は太子を礼拝します。日羅の体からは光が発せられ、太子の眉間からも光が日羅に向かいます。
4
13歳
百済よりもたらされた弥勒石像を礼拝する
敏達天皇13年(584)、百済より弥勒石像がもたらされ、蘇我馬子が自邸に石像を安置しました。
5
14歳
物部守屋らが堂塔、仏像などを破壊
太子は、蘇我馬子らとともに仏教の受容を推進します。しかし馬子が病に倒れ、国中に疫病も広まったことから、敏達天皇14年(585)、守屋らが「仏教こそ疫病流行の原因」として仏堂や塔を破壊し、仏像を海に投げ捨てました。
6
15歳
父・用明天皇の天寿の短さを予言
用明天皇元年(586)、太子の父である用明天皇が即位します。太子は天皇の玉体を拝し、その寿命が短いことを予言しました。
7
16歳
物部守屋との合戦
用明天皇2年(587)、太子や蘇我馬子らの崇仏派と、守屋ら排仏派の争いが頂点に達し、太子らは守屋討伐の軍勢を起こします。馬子軍が苦戦するなか、太子は白膠木(ぬるで)で四天王像を彫り、「この戦いに勝利したら四天王を安置する寺院を建立する」と祈願し、大勝に導きました。
8
17歳
百済から仏舎利と各種工人が贈られる
崇峻天皇元年(588)、百済から使者の僧たちが来日。仏舎利が献上され、寺を造る造寺工、瓦を造る造瓦工、絵を描く画工などが贈られます。
9
18歳
各地の民情を視察させる
崇峻天皇2年(589)、太子は広く政治を行うためには、その土地を知る必要があるとして、東山道・東海道・北陸道の三道にそれぞれ巡察使を遣わし、各地の様子を天皇に奏上させました。
聖霊会しょうりょうえ
毎年4月22日、聖徳太子の命日を偲んで行われる、四天王寺の行事の中でも最も重要で大規模な法要です。1400年の歴史を持つ聖霊会は、四天王寺一山式衆の声明法要と天王寺舞楽が一体となった古の大法要を今に伝え、聖霊会舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されています。本展覧会では豪華絢爛な絵巻を彷彿とさせる、舞楽の所用具などを紹介します。
1「鳳輦」江戸時代17世紀〈大阪展のみ〉、「聖徳太子童形半跏像」令和3年(2021)/2「四天王寺舞楽所用具 迦陵頻のうち羽根・袍」(羽根・重要文化財)桃山~江戸時代 16~17世紀/(袍)平成12年(2000)/3「四天王寺舞楽所用具 胡蝶のうち羽根・袍」 ( 羽根・重要文化財)桃山~江戸時代 16~17世紀/(袍)平成13年(2001)/いずれも大阪・四天王寺
大阪・四天王寺金堂、五重塔
和宗総本山四天王寺
四天王寺は、推古天皇元年(593)に聖徳太子により建立されました。物部守屋と蘇我馬子の合戦の折、崇仏派の蘇我氏についた太子が形勢の不利を打開するために自ら四天王像を彫り、「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立する」と誓願。勝利の後その誓いを果たすために四天王寺を建立した、と『日本書紀』にも記載されています。現在まで度重なる戦火や災害に見舞われ伽藍の多くが焼失しますが、その都度復興を遂げ、太子信仰の中心地として発展を遂げてきました。

現在の建物は創建当時(飛鳥時代)の四天王寺伽藍配置(南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、回廊が囲む形式)を忠実に再現しており、古代の寺観を今に伝えます。総面積3万3千坪(約11万㎡)と甲子園球場の3倍の広さを有する境内には都会にありながら喧騒とは無縁の世界が広がります。毎月21日の大師会と22日の太子会は四天王寺の縁日で、露店も多く並び、庶民の太子信仰の寺として今も多くの人々に親しまれています。
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HIGHLIGHT
令和4 年(2022)、聖徳太子(574 ~622)が没して1400 年を迎えます。聖徳太子ゆかりの寺院では、聖霊会しょうりょうえをはじめ太子の偉業を偲ぶ大規模な法会が催されます。このような100 年に一度の節目にあわせ、太子の生涯をたどり、没後の太子信仰の広がりをご紹介する展覧会を企画しました。用明天皇の皇子として生まれた聖徳太子は、推古天皇の摂政として十七条憲法の制定や遣隋使の派遣など国家体制の確立に大きく貢献したことで知られます。さらに、大阪・四天王寺や奈良・法隆寺の創建に代表されるように仏教を篤く信奉し、現在まで続く日本仏教の礎を築きました。

現在でも、その名を知らない人がいない聖徳太子ですが、最澄や親鸞をはじめとする日本仏教諸宗の名だたる開祖・祖師は、なぜ太子を篤く尊んだのでしょうか。太子ゆかりの寺院は、なぜ1400 年もの長きにわたり参詣が絶えないのでしょうか。本展覧会では、こうした聖徳太子にまつわる問いを解くべく、太子信仰の中核を担ってきた大阪・四天王寺の所蔵品を中心に、太子にかかわる美術の全貌をご紹介します。
1「聖徳太子童形立像」鎌倉時代 13~14世紀、奈良・長福寺/2 重要文化財「聖徳太子絵伝」第2幅、遠江法橋筆、鎌倉時代 元亨3年(1323)、大阪・四天王寺、画像提供 : 奈良国立博物館/3 国宝「四天王寺縁起(根本本)」平安時代 11世紀、大阪・四天王寺/4 重要文化財「救世観音半跏像」鎌倉時代 寛元4年(1246)、京都・三千院/5「馬上太子像」桃山時代 16~17世紀、大阪・叡福寺/6「聖徳太子坐像」佐藤朝山作、大正8年(1919)、東京国立博物館、Image : TNM Image Archives/いずれも部分図
聖徳太子を拝む─太子信仰の広がり
聖徳太子は日本に仏教を広めた人物として、没後まもなく信仰の対象となりました。日本天台宗開祖・最澄(767~822)、浄土真宗開祖・親鸞(1173~1262)、時宗開祖・一遍(1239~89)などの名だたる僧侶をはじめ、貴族から民衆に至るまで、身分・男女を問わず多くの人々から尊ばれてきました。こうした太子信仰のなかで、太子にまつわる絵画・彫刻・工芸作品が生み出されました。
また「複数人の話を同時に聞き分けた」、「未来を予言した」、「黒駒で空を飛び富士山に登った」といった、現代にも知られる太子の超人的なエピソードも膨らんでいきました。
聖徳太子ってどんな人?
知っているようで知らない太子の姿に迫る
聖徳太子がどのような人物であり、日本の仏教にどのような影響を与えたのかをわかりやすく紹介します。
太子の幼い二歳像や凜々しい少年の十六歳像などもあり、絵画・彫刻を問わず愛らしい子どもの姿の作品が多いのも本展覧会の特徴です。また色鮮やかな江戸時代の絵画、昭和の紙幣、マンガの原画などを通じ、現代まで続く太子イメージの広がりにも目を向けます。仏教美術展になじみのない方やお子様にもおすすめです。
日本各地から集まる国宝10件、
重要文化財47件を含む約200件を展示
聖徳太子が所持したと伝わる、大阪・四天王寺所蔵の国宝「丙子椒林剣へいししょうりんけん」、国宝「七星剣」など、ゆかりの品や、様々な年齢の太子を表した絵画・彫刻をはじめ、古代から現代までの1400年間に生み出された太子にかかわる作品を紹介します。
太子信仰は、太子が活躍した近畿に留まらず、日本全国へ広く展開しています。本展覧会では、北は宮城県、西は山口県などから作品が一堂に会します。寺外初公開も数多く、通常は非公開の作品もゆっくり鑑賞できる貴重な機会です。
展覧会初出品も含む貴重な作品が多数出品
展覧会初出品となる台東区指定文化財「聖徳太子童形立像(孝養像)」(鎌倉時代 13~14世紀、東京・坂東報恩寺)をはじめ、県外での公開は初となる兵庫県指定文化財「聖徳太子童形立像(植髪太子)」(鎌倉時代 13~14世紀、兵庫・鶴林寺)など、貴重な作品が多数出品されます。
絵伝で読み解く聖徳太子の事績
重要文化財「聖徳太子絵伝」遠江法橋筆、第2幅(6幅のうち)、鎌倉時代元亨3年(1323)、大阪・四天王寺、画像提供 : 奈良国立博物館
1
10歳
侵攻してきた蝦夷を鎮める
敏達天皇10年(581)、数千の蝦夷が辺境に攻め入った危機に際し、太子は武力を用いず、温情をもって鎮めました。
2
11歳
童子たちと遊び卓越した能力を見せる
敏達天皇11年(582)、太子は諸童子と遊び、言葉の復唱、跳躍、競争、相撲、弓技のいずれにも抜きんでた才能を見せました。
3
12歳
百済より日羅が帰国
敏達天皇12年(583)、百済から高僧・日羅が帰国します。太子を救世観音の化身と見抜いた日羅は太子を礼拝します。日羅の体からは光が発せられ、太子の眉間からも光が日羅に向かいます。
4
13歳
百済よりもたらされた弥勒石像を礼拝する
敏達天皇13年(584)、百済より弥勒石像がもたらされ、蘇我馬子が自邸に石像を安置しました。
5
14歳
物部守屋らが堂塔、仏像などを破壊
太子は、蘇我馬子らとともに仏教の受容を推進します。しかし馬子が病に倒れ、国中に疫病も広まったことから、敏達天皇14年(585)、守屋らが「仏教こそ疫病流行の原因」として仏堂や塔を破壊し、仏像を海に投げ捨てました。
6
15歳
父・用明天皇の天寿の短さを予言
用明天皇元年(586)、太子の父である用明天皇が即位します。太子は天皇の玉体を拝し、その寿命が短いことを予言しました。
7
16歳
物部守屋との合戦
用明天皇2年(587)、太子や蘇我馬子らの崇仏派と、守屋ら排仏派の争いが頂点に達し、太子らは守屋討伐の軍勢を起こします。馬子軍が苦戦するなか、太子は白膠木(ぬるで)で四天王像を彫り、「この戦いに勝利したら四天王を安置する寺院を建立する」と祈願し、大勝に導きました。
8
17歳
百済から仏舎利と各種工人が贈られる
崇峻天皇元年(588)、百済から使者の僧たちが来日。仏舎利が献上され、寺を造る造寺工、瓦を造る造瓦工、絵を描く画工などが贈られます。
9
18歳
各地の民情を視察させる
崇峻天皇2年(589)、太子は広く政治を行うためには、その土地を知る必要があるとして、東山道・東海道・北陸道の三道にそれぞれ巡察使を遣わし、各地の様子を天皇に奏上させました。
聖霊会しょうりょうえ
毎年4月22日、聖徳太子の命日を偲んで行われる、四天王寺の行事の中でも最も重要で大規模な法要です。1400年の歴史を持つ聖霊会は、四天王寺一山式衆の声明法要と天王寺舞楽が一体となった古の大法要を今に伝え、聖霊会舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されています。本展覧会では豪華絢爛な絵巻を彷彿とさせる、舞楽の所用具などを紹介します。
1「鳳輦」江戸時代17世紀〈大阪展のみ〉、「聖徳太子童形半跏像」令和3年(2021)/2「四天王寺舞楽所用具 迦陵頻のうち羽根・袍」(羽根・重要文化財)桃山~江戸時代 16~17世紀/(袍)平成12年(2000)/3「四天王寺舞楽所用具 胡蝶のうち羽根・袍」 ( 羽根・重要文化財)桃山~江戸時代 16~17世紀/(袍)平成13年(2001)/いずれも大阪・四天王寺
和宗総本山四天王寺
四天王寺は、推古天皇元年(593)に聖徳太子により建立されました。物部守屋と蘇我馬子の合戦の折、崇仏派の蘇我氏についた太子が形勢の不利を打開するために自ら四天王像を彫り、「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立する」と誓願。勝利の後その誓いを果たすために四天王寺を建立した、と『日本書紀』にも記載されています。現在まで度重なる戦火や災害に見舞われ伽藍の多くが焼失しますが、その都度復興を遂げ、太子信仰の中心地として発展を遂げてきました。

現在の建物は創建当時(飛鳥時代)の四天王寺伽藍配置(南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、回廊が囲む形式)を忠実に再現しており、古代の寺観を今に伝えます。総面積3万3千坪(約11万㎡)と甲子園球場の3倍の広さを有する境内には都会にありながら喧騒とは無縁の世界が広がります。毎月21日の大師会と22日の太子会は四天王寺の縁日で、露店も多く並び、庶民の太子信仰の寺として今も多くの人々に親しまれています。
大阪・四天王寺金堂、五重塔
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